上宮
以前、出身高校のOB会誌に投稿した拙文です。
ファイルの整理してたら出てきました。
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上宮から世界へ
理系の大学教授として研究活動を行っていると、学会の懇親会などでたまに聞かれることがある。「先生は大阪出身らしいですけど、高校は高津ですか?」。
そんな時、「いいえ、上宮です。」と答える。もちろん。
大学教授になるには、一流の大学を出て、大学院で博士号を取得し、研究成果もトップクラスで、研究室の教授に気に入られて助教(かつての助手)となり、そして准教授(かつての助教授)、そして教授へと昇進するのが一般的である。だから、一流高校を卒業して一流大学に進学していると考えられて、高津高校出身と勝手に思われてしまうのである。出身高校の話になると、ついでにこんなことも付け加える。「後輩には元巨人でタレントの元木大介氏がいます。有名な先輩では司馬遼太郎氏でしょうか。」上宮を知らない人はいったいどんな高校なんだろう、と思うに違いない。
そんな自分が上宮を卒業したのは、今から30年以上も前の昭和52年のことである。当時、下宿生活に憧れて三浪のあげくに早稲田大学へ。受験のたびに担任の先生に内申書をいただきに行った時には、評定平均3.2では同志社大学すら合格しないと言われていたから、卒業後の受験勉強の頑張りが想像できると思う。
大学3年間は平均的な大学生として遊んでいたけど、大学4年の時に配属された研究室で研究の面白さに気づき、研究者として将来身を立てようと思った。教授に大学院に進学したいと申し出ると、成績が下から三番目の君はアメリカに行ってゼロからやり直したらどうかと言われ、結局はニューヨークの工科大学の知り合いの教授を紹介してもらい、学部を卒業してすぐにアメリカ留学となったのである。今から思うと、英会話能力ゼロ、専門知識もほとんどゼロなのに、その話にホイホイ乗った自分が怖い。幸い、5年間で博士号を取得できたのは、多くの人達の支援と、絶対に研究者となって世界を変えるような研究をしたいと思う強い気持ち、そして好奇心の固まりのような性格でアメリカ生活が面白くて仕方がなかったからであろう。
そんな科学者の卵が、研究室の戸棚のサンプルで見つけたのが、光るプラスチックであった。先輩が透明のアクリル樹脂に希土類金属の錯体と呼ばれる蛍光体を分散して光を照射してレーザー発振させる実験を行っていたのである。それを手に取り考えた。「もし、このプラスチックに電気を流して電池で光らせることができたら世界は変わる。」と。調べてみると1963年にすでにアントラセンと言う有機物質の結晶に電気を流して光らせた論文があって、そんな発想を得たのは自分が初めてじゃないと言うことがわかり少しがっかりしたけど、逆に自分のとんでもない発想が実現可能だと言う裏付けが得られ、科学者としての嗅覚に自信を持った。
それがこの20年続けている有機EL(エレクトロルミネッセンス、電界発光)の研究で、今や薄型ディスプレイとして実用化され、携帯電話やデジカメの表示画面に使われ、40インチクラスの超薄型テレビも試作段階に入っている。特に山形大学工学部で助手のときに世界で初めて白色で光る有機EL素子の開発に成功し、国内の新聞はもとよりアメリカのウォールストリートジャーナル紙の一面でも紹介され、一躍、日本の有機ELの顔となるのである。その後、経済産業省の国家プロジェクトの総括責任者、山形県の地域産業活性化プロジェクトの中心的研究開発機関である有機エレクトロニクス研究所の所長を仰せつかるような立場になった。また、三菱重工などの一部上場企業と合弁会社ルミオテック社を設立し、照明用の白色有機ELパネルの製造に自ら関わるなど、大学での基礎研究から企業での実用化まで幅広く活動するに至った。最近ではベンチャー企業の立ち上げも行っている。
そんな世界を相手に活動している自分の高校時代を振り返ると、楽しかった思い出ばかりである。後悔することは何もない。あのころの上宮はとても自由な雰囲気があって、髪型も隣の清風高校は刈り上げだったのに対して長髪オーケー。もちろん怖い生活指導の先生方がおられてハメを外しすぎると厳しく指導されたけど、今となっては懐かしい思い出である。それと、これが私学の良さなのか、大阪にとどまらず奈良など広範囲から生徒が集まっていて、学区でまとまっている公立高校に比べると、そのスケールは大きく視野が広がった。卒業後は、東京のしかも地方からの学生が集まる早稲田に進学し、さらに人種のルツボと呼ばれるニューヨークで5年間過ごし、その国際性は磨かれたように思う。
今から考えると、もし公立高校を卒業し、国立の一流大学に進学していれば、きっとそれで満足し、外国にも留学せず、ごくごく普通の会社員になっていたに違いない。だから、科学者城戸淳二の原点は上宮にあると思っていて、ご指導いただいた先生方にはいくら感謝してもしきれない。「上宮の後輩にはノーベル賞受賞者の○○君がいます。」なんて言えるように、後輩諸君の中から世界を変えるような発明を行う科学者が出て欲しいと願っている。
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要するに、85年の長い人生、
最初の15年や16年では決まらないということです。
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