自然が一番の贅沢
2011年ですから10年前ですね、
月刊化学に掲載された拙文、
連載4回目が先日の焼肉の話で、
これが連載5回目です。
あの年は、東日本大震災があって、編集者からテーマを提案いただきました。
この記事をを再読して、
改めて、科学者というのは、一番自然を愛しているのではないかと思いますね。
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〜自然の偉大さの前で〜
蛍は熱をださない究極の光源。最も近い技術が、有機蛍光物質に電気を流して光らせる有機EL技術。今ではそれを使って薄型テレビをつくったり、照明器具を開発したり、さらには植物さえも有機EL光源で栽培しようとしている。20年前には想像すらできなかった事が実現しようとしていて、いったい科学技術はどこまで進化するのか、研究者自身にも想像がつかない。
発電技術も同じ事。植物の葉っぱのように有機物質を介して光エネルギーを電気エネルギーに変換する有機太陽電池。こちらも近年著しい効率向上が見られ実用化が近い。もちろん目指すのは光合成。シリコン太陽電池では及ばない自然界で営まれる最もグリーンな技術である。20年後には人工光合成技術が確立し、太陽光と二酸化炭素から炭化水素を合成したり、発電したり、今、想像もできないようなことが実現しているように思う。
一方、現実は原子力発電である。物理の理論が産み出した人類が現有するもっともコストパフォーマンスの高い発電技術。そのおかげで壁のコンセントにプラグを差し込むだけで電気が使える生活が成り立っている。日ごろ、ありがたみも感じることなく当然のことのように天井の蛍光灯を点灯し、大型テレビを観て、何不自由ない生活を人々は満喫している。
けど、自然にはまだまだかなわない。液晶テレビの画質はコントラスト比が向上し、3Dも登場、臨場感はいくらか高まったものの実物にくらべると、そのニセ物感は拭えないし、消費電力も大きい。LEDや有機ELなどの次世代照明器具も、それらを使った植物の人工光源栽培も、太陽光の偉大さに比べると子供のオモチャみたいなものである。現代の科学技術のレベルなど、自然界に比べると小学校3年の理科程度に思えてしまう。
3月11日の大地震、大津波。人間が20年かけて作った完璧とも思えた高さ10mの防潮堤を津波は越えた。最先端技術を駆使して建造した原子力発電所を津波は一瞬にして破壊し、放射性物質をまき散らした。多くの死者を出した東日本大地震。首都圏で電気のない生活を強いた大津波。人は自然の前に非力であることを改めて思い知らされたのである。ほかにも地球温暖化、異常気象など、最近地球上で起こるできごとを見ていると、途方もなく大きな自然の力に対して科学技術の未熟さを再認識させられる。気象予報はろくに当たらないし、地震予知なんていかなる高速コンピューターを使ってもできないんだから。
筆者が住む山形県米沢市。ここは山に囲まれた盆地で自然が豊かである。四季がはっきりとしていて、冬は雪も多い。しかし、人々は自然とは戦わず、自然とともに生きる気持ちが強い。その証が草木塔(そうもくとう)である。この地方には草木塔と呼ばれる石碑が数多く見られる。昔から日本人は八百万の神を信じ、人や動物だけじゃなく、草や木にも魂が宿ることを知っている。人が生活環境向上の為に、開墾したり、材木を得るために木を伐り倒す。そんな草木の魂を供養する心が、草木塔を建てさせたのである。なんて美しい心だろうか。草木塔のふるさとである米沢に住み、草木にそして自然に感謝しながら、グリーンテクノロジーである有機半導体デバイスを極めたいと思うのである。
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私は、
大阪の田園調布と呼ばれる東大阪市(旧布施市)生まれで、京都、東京、ニューヨークと住んで
今は
山形県米沢市。
もう30年以上になります。
なぜ、
ここに住み続けるのか
聞かれることがよくあります。
旧帝国大学からのお誘いは何度もありました。
答えはいつも同じです。
山形大学の研究環境が世界一であること、
それとこの街に仲間がたくさんいること、
そして自然の豊かさです。
冬があるから春が嬉しい。
新緑が眩しい。
雪の中で人々は春を待ち続けます。
そんな春の香りを届けるような女性になってほしいと、
晩秋の11月生まれの娘に春香と名付けたくらいです。
人間が動物であって、
本能的に、安らげる空間というのは、
大自然の中であるということ、
文科省のCOIプロジェクトで快適空間を研究すればするほど、
わかってきました。
大自然の中で生活し、
栄養豊かな食材を使った、
おいしい食事をいただく。
これが最高の贅沢だとも思える今日この頃です。
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