英語
アメリカのMaterials Research Societyでは、 Fall Meetingはボストンで、Spring Meetingはサンフランシスコで開催されていて、ボストンやサンフランシスコには大学の助手になって以来、26年間、まあ実際には助手になって数年後から毎年来てます。
で、
今回は笹部助教と大学院生二人で参加。
学生君たちは月曜の夜にポスター発表を行います。
もちろん、発表は英語で行うわけですけど、日本で生まれ育った二人、とくに写真左端のイノマタは、飛行機に乗るのが二回目という超外国初心者なわけで、そんなのがいきなり外国人相手に英語で発表するのはハードルが高いです。
じつは、自分自身、大学の教員になって26年、
大学での教育というのは、学生たちが社会に出る一歩手前なわけで、中高よりもより実践的でならないと考えていて、特に大学院生は外国での研究発表を積極的に行わせるようにしてきました。
まあ、
教員によって考え方は様々で、すべての研究室で外国発表させてもらえるわけじゃなし、うちも今でこそ研究費がそこそこあって、毎回学生を連れて行けるけど、昔なんて学生を外国で発表させるための助成金なんかを申請してまで連れて行きました。
で、
これまでの経験から、一度、外国を体験すると、自分の英語力のなさ、根性のなさ、を思い知ると同時に、自分たちの研究レベルの高さ、も実感できて、研究者として自信を持ち、英語力にダメだしされて、一皮むけるわけです。
何を隠そう、
自分自身が日本で中学校から英語を習い、大学の学部を卒業して、英会話がまったくできない状況でアメリカに留学して、もがき苦しんで「城戸式英会話習得法」を編み出して、いまや英語の発表などなんの抵抗もなくこなせるようになった身としては、いまの文部科学省の進める英語教育はちょっとおかしいんじゃないかと思うわけです。
そんな経験者として、かつ教育者として、一言申しあげると、
小学校での英語の授業はやめていただきたい。
だいたい、英語を必要とする日本人は全体の1割ほでしかいなくて、きっと私の住む米沢では1割もいませんしね。
英語の授業をさらに低学年化して3年や4年から教えると言う話もあるようだけど、
それは絶対やめていただきたい。
小学校から英会話を教えると英語ペラペラになるというのは単なる幻想です。
それに、
英語を教えるということは、いったい何の授業を削減するというのでしょうか。
ただでさえ、学力レベルが下がり、一般常識さえも知らない若者が増えているというのにね。
特に、家庭でのしつけ、教育がなされなくなった現状で、ある意味、家庭で教えていた常識的なことを学校で教えなければならなくなってるわけで、英語どころではありません。
しかも、
今の小学校にまともな英語をしゃべれる教員はいません。
教育学部を出て、留学経験もなくそのまま中学校や高校の英語の教諭になった人たちがほとんどで、自分自身中学、高校時代を振り返ると、ネイティブのような発音をする英語の先生は一人もいませんでしたし、いまの、山形県の小、中、高校にもいません。
そんな英語をまともに話せない先生に英語を教えられて、英語を話せるようになるわけがないのです。
逆に、英語嫌いを増やすということになるでしょうね。
そこで、文部科学省に提案。
もし、真剣に英会話ができる日本人を増やしたいなら、
・予算を増やして全国の小、中、高校にALT(外国語指導助手)を常駐させる。
・しかも、暇つぶしに日本に旅行に来てる外国人じゃなくて、なんらかの教育課程を経た専門知識を持つ外国人英語教員。
・英語の授業は放課後。
・英語の授業は選択科目とする。
まず、真剣に本物の英語を身につけるには、ネイティブと毎日接するくらいの環境にする必要があります。将来必要であろうと思う子供たちが自主的に、真剣に継続的に、集中して英会話を学べる環境を提供することです。
それに、ネイティブといっても必ずしもアメリカ人やカナダ人である必要はなくて、たとえばフィリピンでは公用語が英語で、それなりの教育を受けた人たちはネイティブのように英語を話します。
そんな国から日本にたくさん来てもらうことによって、英語だけじゃなく、お互いの文化も理解し合えて、アジアの発展にもつながると思うわけです。
とにかく、
いまの英語教育じゃあ、教育現場の労多くして実を結ばず、日本人は永遠に「英語しゃべれない民族」のレッテルを貼られ続けることでしょう。
文部科学大臣だけじゃなく、文科省の官僚の方々、そして国会議員の方々には真剣に議論してもらいたいと思う今日この頃なのです。
ボストンより。
