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2009年12月13日 (日)

さよなら、山形 〜その3〜

 
 
約7年前に有機エレクトロニクスバレー構想を私に託された高橋和雄元山形県知事。
著書を紹介したい。
 
題名は、
 
「自治の未来をめざして」 自伝的回想/山形県政12年
発行所 株式会社南北社
定価が書かれていないため、たぶん自費出版。
   
   
第七章 産業と福祉
  
有機ELー新たな産業集積
 
山形県の産業は、受注依存型、加工組立型の業種が多く景気変動の影響を受けやすい体質と言える。同時に、労働集約型の産業が多いだけに、アジア諸国の低廉な労働力との競争力もなく、企業は次々と海外移転を進めている現状にある。これは県内に働く人々にとつて、生活に関わる重大な問題である。人間は健康で働き、生活できることが最低の条件である。産業の空洞化は日本全体の課題であった。
 
私が知事になって策定した「山形県総合発展計画」と並行して、平成七年度に「山形県長期産業ビジョン」がスタートし、イノベーションランド山形の形成を基本目標とした。
県内各産業のイノベーション(技術革新)は急務であったが、このビジョンの大きな柱に、「活力ある産業を創造する産業基盤の整備」「付加価値を創造する研究開発機能の強化」がある。
 
そんななかで、山形自動車道や山形新幹線の延伸工事など高速交通網の整備の進行や工業団地の拡充、積極的な企業誘致運動などによって県内の企業立地は平成九年(1997)、平成十年(1998)と二年続けて全国一となった。しかし、これは他力をあてにするもので、必ずしも山形の産業のイノベーションになっているとは言えない。
 
自治体の実力は地域の生産力にある。しかし、工場の海外移転などで、県税は平成十四年度に一千億円を下回り、平成十五年度には九百億円を少し超える程度まで落ち込んだ。
自ら企業を育てないと県の力が落ちてゆくという危機があった。
 
そのなかで、将来とも目玉になるであろうと考えられたのが次世代ディスプレイの主力となる有機EL(エレクトロルミネッセンス)だった。この分野では世界的権威である城戸淳二教授が山形大学工学部にいる。
 
有機ELとは、ガラスやプラスチックの表面に有機発光物を蒸着きせ、電気を通すことで有機物をさまざまな色に光らせる技術で、すでに、携帯電話や携帯オーディオプレーヤーのディスプレイとして使われている。
 
城戸教授は平成五年(一九九三)に、有機ELの白色光はありえないという常識を覆し白色発光を発見した。世界的な反響を呼んだこの発見はノーベル賞級と言われ、液晶のようにバックライトを必要とせず、斜めからの視認性に優れ、消費電力の極めて少ない超薄型、軽量のモニターを可能にすると考えられていた。また、照明器具としては、フィルム状にすればどのような形状も可能で、究極の面光源として照明革命を起こすことができると期待きれている。
 
私は国際的に研究をリードする城戸教授を核に「山形有機エレクトロニクスバレー構想」を実現しようと話し合った。天童市には有機ELを世界で初めて量産化に成功した東北パイオニアがあり、この優位性を存分に生かせるのではないかと思った。
 
県はこの構想に平成十五年度から平成二十一年度までの七年間で四十三億円を投資することにし、城戸教授を所長に有機エレクトロニクス研究所を平成十五年(2003)十一月十日、米沢市の八幡原中核工業団地にオープンした。
 
共同研究に二十社の企業の参加があり、そのうち県内企業は三分の一程度だったが、精密機械加工、組み立てなど技術力の高い企業が参加している。このような産業振興に直結する研究に県が多額の資金を出すのは、この研究が産・学・官の要となり将来の県産業の大きな柱となることを期待してのことである。
 
私はこのエリアが、基礎研究、基礎技術、部材、量産・組み立て工場が一カ所に集まる世界に冠たる有機ELバレーに発展することを、心から願っている。
 
研究所を設立して既に数年が経過している。事業というものは一朝一夕に成功することは稀である。多くの大事業の成功は悪戦苦闘を乗り越えてなし得るものである。その基本となるのは、県民の一層の飛躍を期しての「なせば成る」の精神であると思う。
 
・・・・・・
 
当時の高橋知事の気持ちがよくわかる文章である。
 
今、経済はさらに悪化し、県の税収もさらに下がり続け、このままでは限界集落があちこちに発生し、やがては山形県自体が限界集落と化すだろう。
  
だけど、先週の金曜日。
あの新聞発表以来、初めて県庁から担当の方々が来られた。
その説明を聞いて、唖然、呆然、そして怒り。
 
現場が理解できてない県庁提案のやり方でバレー構想を続けられるのなら、成果はでません。
絶対に失敗します。
200%失敗します。
それを手伝え、と言われても無理です。
沈む泥船には乗れません。
 
と言った。 
 
 
高橋知事の熱き思いはどこへ行ったんだろう。
あまりにも志が低いのだよ。 
 
 
 
 
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