読者のみなさんは、なぜ私がブログを書き続けるかご存知ですか?
なぜサイエンスキャンプや出前講義などのアウトリーリ活動を行ってるか、ご存知ですか?
それは時々、ご褒美として感動をもらえるからです。
ちょっと長くなりますが、以下、実話です。
ブログ 2008年9月9日
タイトル:フリーターの君へ
きょうは河合塾で講演なので名古屋にきている。
名古屋駅で新幹線を降りる時に、女子高生か受験生かと思われる若い女性に「城戸先生!」と声を掛けられたので、講演の聴講者なのかと思ったら、クロタキの奥さんだった。
黒瀧はソニーで有機ELを開発していて、愛知の工場に出向している。
昨秋の卒業生の渡部の結婚披露宴であったところだったのだ。
講演は受験生とか高校生とか若い人向けに成功の秘訣をお話したんだけど、その中でフリーターには絶対なってはいけません、と力説したところ、著書にサインしてくださいとこられた若者の一人がフリーターですと告白された。
人生とは修業です。
特に若い人は与えられた環境でいかに頑張って自分の能力を伸ばすか、その気持ちがあるのかで将来が決まる。
バイトだとイヤな上司がいたら辞めればいいし、つらければ転職すればいい。
これじゃあ、自分の持つ能力を高められない。
よく自分のやりたいことがわかるまでバイトしながら自分探しをするという人がいるけれど、こんな話はナンセンス。
サラリーマンで仕事を楽しいと思ってやってる人は極々一部で、みんな生活のために汗を流しているのだ。
中小企業は人手不足で、探さなくてもいくらでも正社員の職は見つかる。
ソニーもホンダも松下も、最初は中小企業。
フリーターの君、
まず就職すること、そして自分の能力を120%出してがんばって能力を高め、まず会社に貢献してほしい。
成果が出始めたら、どんな仕事でも興味は湧くし、やり甲斐も見いだせると思う。
フリーターの君、
もし、このバカブログを読まれて、正規な仕事に着かれたら連絡ください。
ささやかですが、心からのお祝いをお贈りします。
・ ・・・・
すると、驚いたことに本人からメールが届きました。
以下、そのまま。
2008年9月10日
こんにちは。講演会の終わりに生意気にもサインを要求した「フリーターの君」です(笑) 名前は、○○○○と言います。
あの講演の次の日、いつものようにアルバイトをして家に帰ってパソコンで先生のブログを見たら、自分のことが書いてあってびっくりしました。
それと同時に、教授という立場にある偉い先生が社会的身分の中では底辺に位置する自分のことを馬鹿にすることもせず、淡々とアドバイスをくださり、その文章を見たら目頭が自然と熱くなってしまいました。本当にうれしかったです。
自分のことを述べて大変恐縮なのですが、僕はその場その場がすぎればそれでいいといういたって無気力な人間でした。学校の成績はそこそこ良かったのですが、それは直前に追試になりたくないがために一生懸命勉強したためであって、総合的な学力を検査する模試ではいつも底辺をさまよっていました。そもそも勉強という二文字が昔から大嫌いでした。こつこつと勉強することが昔から嫌いで、勉強するのはテスト前であとは全くやらないという典型的な受身人間だったんです。
身の程知らずで、突然医学部にいきたいと思いそこを志望しようと思ったのですが、だからといって高校三年生になってからもそれほど勉強はせずまあ当然のごとく不合格。卒業後は代々木ゼミナールへ行って予備校生となるも、「アルバイトをしていくらかはお金を家に入れること」という条件があったのでアルバイトをはじめ最初は嫌々だったのですがどんどんそっちのほうに精をだすようになって九月くらいまでほとんど勉強せずアルバイトばかりやるようになりました。
このままではまずいと思って入試までの三ヶ月は必死こいて勉強するも付け焼刃的勉強で受かるはずもなくまた医学部不合格。すべりどめにしていた大学にもすべて落ち、現役浪人ともにひとつの大学も受からないという事実をつきつけられて、勉強しなかった自分がすべて悪いにもかかわらず「うつ病」の症状を引き起こして、病院へ行くうちにほとんどひきこもり状態になってしまいました。数ヶ月してなんとかたちなおったものの、もう医学部にも興味はないし、大学自体にも興味はない、もう勉強したくも無い、かといってこのままニートになるのは・・・・・・・・・・ということでアルバイトをし始めて、そのまま無気力に日々をすごして年がたち現在に至ります。振り返ると自分でもひどい人生だなと思います。
そんな中、インターネットで先生のブログを発見して毎日のぞくようになりました。先生が有機ELに対して熱心に研究をしているのを知り、そういえば昔自分はプラモデル作ったり、貯金箱や家財道具を作ったりいろいろ「ものづくり」が好きだったなあということを思い出しました。アルバイトが終わるたび家に帰ってから毎日読んでいくうち、別のサイトで先生が河合塾に来るということを知って、地元の岐阜から聞きにきたというわけなんです。
講演のなかで先生は最初有機ELの話をしてくださいましたが、いったい実物はどんな感じなのかと有機ELのテレビを見てみると、うちにある液晶テレビよりも比べ物にならないほどきれいでかつ薄いということで、思わず息を呑んでしまいました。また最後のほうで先生は、好奇心、創造力、やる気、この三つが大切だと言いましたが、今後この三つを頭にとどめ努力していきたいという気持ちも生まれました。
ブログの中で先生は就職してがんばってほしいと言いましたが、あのパネルのそばにいた修士課程の学生の人に「大学ってこんなにおもしろいんだよ!」という話を聞くうち、また先生の講演を聞いて、あれほど大学に対して嫌な感情があったのに今はそれがすうっと消えて「俺大学に行きたいかも」と思うようになりました。ずっと勉強していなかったので「一からのスタート」ということですが、山形大学の工学部を来年受験してみようと思います。
もう数年のブランクがあり今からやって間に合うのかわかりませんがもう一回死力を尽くしてあの嫌だった「勉強」をやってみようという気持ちになり、こういったチャンスをいかしたいからです。また山形大学には「山澤進奨学金」という、採用されれば四年間授業料入学金免除かつ月五万円支給というほかの大学にはないすばらしい制度もあるということを広報の先生から聞き、今まで散々迷惑をかけてきた母にもまたお金のことで迷惑をかけることなく無事学業がこなせるという理由もあるからです。それでも大学にいけなかったというのであれば、今度はちゃんと就職して、会社に貢献したいです。
もうなにに対してもなげやりな態度をいつもとっていた自分が今こうして「がんばってみよう」という気持ちになれたのは先生のおかげです。改めて御礼を言いたいです。ありがとうございます。もし大学にいくなら仕事に就くのではないということで、お祝いをもらえないことになってしまう(笑)のですが、いづれにしても将来に対して希望を持てたのは自分の中では小さいかもしれませんが一歩前進だと思っています。
これからも先生のブログを楽しみにしつつ毎日見ていくのでよろしくお願いします。また来年になったら近況のメールをするかもしれません。つたない文章でごめんなさい。先生もお体にお気をつけてください。それでは。
・ ・・・・
うれしくて、
涙が出ました。
そして、
2009年2月24日のブログ:
タイトル「驚いたこと、いくつか」
前後省略して、肝心な部分だけ・・・
今朝の米沢駅。
東京に行く電車をホームで待っていると若者が声を掛けて来た。
若者「河合塾で先生の話を聞かせていただいたものです。」
管理人「はあ?」
若者「フリーターです。」
管理人「ええ!」
若者「XX(名前)です。」
管理人「ああ!」
若者「受験に来ました。」
管理人「いやあ!」
ただただ驚いた。
管理人「センター試験できたか?」
若者「はい!」
管理人「明日頑張りや。」
若者「はい!」
管理人「結果でたら連絡してや。」
若者「はい!」
フリーターの君、はつらつと、しかも晴れ晴れとした笑顔。
去年の名古屋のときとは別人に変身していた。
きっと受かってくれるに違いないし、ぜひとも受かってほしいと思う。
つばさの席に着いたらうれしくてちょっと胸が熱くなった。
・ ・・・・
そして、2009年3月8日にメールをもらいました。
こんばんは。先日は米沢駅で先生にお会いした際、突然お声をかけて驚かせてしまいご迷惑をおかけしました。
題名にもありますとおり、センター試験の点数もよかったこともあってか合格することができました!学科は◯◯◯◯工学科で、先生が行っている研究の分野とは違ってくるのですが、もともと医療系、生命系に興味があったこともあり、勉強していく中で将来は「医療機器を設計、開発したい」という具体的な夢がでてきたためで、そのようなことが学べそうな学科だからというのが理由です。しかしながら高分子のほうにも興味があるので、二年になった際そういったことも学べたらなあと思います。
去年名古屋での講演会で先生に出会えたこと、そして先生に直接激励をいただけたおかげで、自分はここまでやれたのだと思います。先生には感謝してもしきれない思いです。本当にありがとうございます。また母や友達の支えがあったからこそ勉強できたのだと思います。一年目は教養教育中心ということで山形市に住むのですが、幅広い分野を勉強し、また大学生にしかできないサークルや旅行などいろいろな経験をしていきたいです。
学科は違うのですが、同じ工学部なので先生にはお世話になることもあるかとは思います。これから四年間よろしくお願いします。
・ ・・・・
もう8年も前のことですから、彼は卒業してきっと社会で活躍してくれてることでしょう。
人というのはきっかけがあれば変われます。
私は若者たちにそのきっかけを与え続けたいと思います。
ご褒美に感動の涙をもらいたいから。